どうして体暦なのでしょう
私が伝えていきたいこと、自分も大切にしていること、
それは、体と心の痛みの無い毎日の素晴らしさ。
不安のない日々は夢を叶えるための大きな基盤になります。
元気で前向きで、豊かさのある日々。
それを様々な形で人に伝えているのです。
それを手にいれるために大事なこと。
バランスのとれた体でいるための習慣
そして日本に昔からある暦を知り、
上手くタイミングをつかむ。
旬の食材をいただく、
四季にあった行動をし、行事を大切にする。
そのように人として
自然な生活を送ることが
心も体もいつも心地よく入られると実感しているからです。
今、接骨院の院長として
暦の講師として
多くの人々に元気で豊かになっていく方法を教えています。
お陰さまで多くの人に喜んでいただいています。
回り道をしながらも自分に向いている仕事にたどり着けた理由をお話したいと思います。
とても恵まれていた幼少期
栃木県の大きな繊維会社の孫として生まれました。
幼少期は実務は引退していた祖父といつも一緒に過ごしていました。
祖父は、名誉もお金もあり豪快な人でした。
昼間から晩酌をしている祖父の目の前には
カラスミやピータンといった珍しい物が常に置かれていました。
戦争の時の中尉としての武勇伝や学生時代に京都で遊び三昧だった話を何度も話てくれました。
大きな声で笑う姿が印象的だった祖父でも、時折、神妙な表情になることがありました。
今でも、はっきり覚えているワンシーンがあります。
私が小学5年生だった節分の夜、祖父と2人で節分の行事を行っている大きなお寺に行きました。
参道脇には屋台も沢山出て、家族連れや学生のグループで賑わっていました。
祖父と並んで参拝すると、深々とおじぎをした祖父は、ものすごい大きな声で本堂の中に向かって
「鬼は~外。福は~うち」と言ったのです。
一瞬で周りの人が振り返り、「ビックリしたー」という声も聞こえます。
恥ずかしい、、思わず下を向いた私ですが、姿勢を正して参道を歩いていく着物姿の祖父をついていくと
その堂々とした姿に何だか誇らしい気分へと変わっていったのです。
毎朝、祖父は庭にあったお稲荷さんを丁寧に参り、仏壇に手を合わせご飯を供えていました。
思えば、その時の顔はいつも真剣でした。
「しっかりと手と手を合わせるんだよ」神様、仏様への礼儀を教えてくれたのは祖父でした。
欲しいものすべてを手に入れて、好きなように生きていた祖父。
その祖父が、誰よりも大切にしていたことがあったのです。
お正月には、ちゃんとお風呂で体を清めてから初詣に行きました。
お賽銭は、すべて半紙で包んでいました。
晩年は、膝の痛みでほとんど外出しなかった祖父ですが、
お寺や神社の行事には行っていました。
夕食には、いつも旬の魚が並びました。
300坪の庭には、毎日宮大工のおじさんがきて手入れをしていて、
常にどこかの花が咲いたり、実をならせたり。
そのためか、庭で植物を触ったり、舐めてみたりが好きな私でした。
暦を学びわかったのですが、その庭に植えられていた木々は、
風水を取り入れた、その家に健康や豊かさをもたらす植え方になっていました。
例えば、鬼門である家の北東には魔除けの効果のある柊が植えられていたのです。
祖父が何を、神様、仏様に願っていたのかはわかりません。
でも、沢山の財産とどこに行っても挨拶される立場を持っていたからこそ
何を大切にするべきかを知っていたのかもしれません。
コンプレックスの塊に
ちやほやと育った幼少期から学校に通う様になると何か満たされない気持ちに悩むようになりました。
家にいれば、会社の従業員やお手伝いさんが大切にしてくれていたのに学校では、ただの生徒の1人です。
愛想の良い子ではなく、人と話すのもうまくなかったので
いわゆる目立たない子でした。
子供ながらに、「こんな自分が嫌だな」と思っていました。
そんな気持ちからか、気持ちが悪くなって吐くことも多く、
風邪でもないのに熱っぽくて学校を休むことも度々ありました。
学校を休んでいると、近所に住む母方の祖父が必ず苺を持ってきてくれるのです。
そんな贅沢な環境にも、「別にいいのに」などと可愛げの無い私でした。
嫌いな自分を変えたいという願いは、高学年になるにつれ
何かしなくちゃという思いになっていきました。
本が好きだった私は今でいう健康、美容ジャンルの本を
買ってきたのです。
好きなだけ食べていたことをやめ、
野菜をなるべく食べ、ご飯を減らしました。
ジュースやお菓子も極力やめました。
それから、本を片手に体操をしてみたり、
庭に出て、縄跳びをしたり。
気がつくと、気持ち悪くなることは無くなっていました。
学校を休むことも無くなりました。
中学生になるころには、いつも気分がよく明るい性格になっていました。
嬉しいことに体も少し引き締まり、自分の体が嫌いではなくなってきたのです。
年頃なのもありオシャレを楽しめるようになりました。
友達とのおしゃべり、雑貨屋さんへの買い物、毎日が、楽しくて仕方がないようにと変わったのです。
この変化が、今の私を支えているのです、
お金があっても、人間関係がうまく行ってても
心が寂しいことはあるのです。
そして、体と心は繋がっているということ。
転落人生
私が24歳の時にその繊維会社をたたむことになりました。
何より悲しかったのは、実家を売りに出すことでした。
沢山の思い出が残った一つ一つの部屋。
庭の色とりどりの植物。
三畳分の大きな犬小屋、
お寺の山門のような立派な門、
ざくろの実の甘酸っぱい味、
拾ってきた子犬が走り回った庭。
そのころは、もう東京に住んでいたので
月に1度、実家に帰り
年紀の入った太い柱のツルツルした感触や、
玄関の御影石のたたきの冷たさを
感じるのが好きでした。
大好きな大切な物がなくなることの恐怖感。
もう触れることもできなくなったのです。
そして、それまでお金のことを考えたことのなかった私には
経済的な恐怖もやってきたのです。
成人してもなお親のスネをかじっていた私。
ウォーターベットが欲しい、
海外旅行に行く、
マナースクールに行く、
電話1本で頼んでいた私。
その度に「いいんじゃないの?」
笑って言ってくれる父と母でした。
会社の後始末をする父を見て、
「今までも、大変だったのかも」
親の会社の状況を気にもしていなかった自分の甘さも痛感しました。
欲しいものがあるならば、自分でお金を作らなくちゃ。
会社をたたむという辛い決断をした父に
心配はかけたくない、安心してもらいたい。
それまで、何となくしていた
働くこと、そしてお金を使うことに
真剣に向き合うようになったのです。
「人生何があるかわからない」今でもその思いはあります。
貴重な経験から私には、
「今より少しでもいい状態にしていく。」常にその思いが染み付いているのです。
初めての本気の本気
29歳で結婚したのは鍼灸師の夫。
結婚を決めると同時に開業した夫を支えることになりました。
仕事、プライベートの両方がゼロからのスタート。
不安も沢山ありました。
開業費用を節約するために、カーテンをミシンで作り、
看板も材料を揃えて作りました。
チラシも手作り。仕事が終わると2人でポスティング。
寝る時間を削っての日々が続きました。
「寝る間が惜しい」
この時初めて本気で頑張る自分を知ったのです。
遊びに行く余裕もなく2人で真剣に過ごした結果、4年後には4人の従業員を雇える治療院になりました。
真剣に考えたお金の使い方
経営が順調に進む中、銀行に増えていくお金をどうするかを考えました。
大金持ちから一文無しを経験している私は、その怖さが身にしみています。
祖父も父も、大好きな人ですが、自営業を支えるようになった私には
祖父や父の豪快、贅沢なお金の使い方は、違うと分かっているのです。
そこで、夫を支えてきた私は今度は自分自身の力をつけていきたいと国家資格を取ることを決めました。
柔道整復師という資格は夫の治療院の幅を広げることにもなります。
鍼灸マッサージは実費での治療ですが、私が柔道整復師の資格を取ることで保険での治療ができる様になるのです。
子供2人が保育園という育児が一番大変な中、3年間専門学校に通い、難関の国家試験に合格できました。
夫の協力も大きく、保育園の送り迎え、夜のオムツ変えも夫が支えてくれました。
テスト前で睡眠不足が続くと、夫が鍼を打ってくれたり、体へのアドバイスをくれました。そして、
食べる物に気を使う習慣ができていたこともこの3年間を元気に過ごせ目標を達成できた理由だと思っています。
そして、家の購入と共に2度目の開業を果たすことができたのです。
自分の振り幅を広げたい
柔道整復師という仕事をする中で行政や団体から多くの役目もいただきました。
お医者さんや福祉関係の方との交流もできてきました。
それをきっかけに介護支援専門員の資格も取りました。
介護を受ける方のコーディネートのお仕事です。
医療だけでなく、介護の仕事も経験することで弱い立場の人々をサポートしていくことの緊張感を学びました。
祖父の会社では障害者も多く雇っていたため私自身は、偏見がなく育っていましたが、改めて弱い立場の方と接することで祖父や父の心の大きさを改めて尊敬できる様になりました。
仕事を通して様々な立場の人と直接出会うことは、人生の大きな学びとなっています。
走り続けた後に思い始めたこと
しかし、鍼灸師の夫と治療を続けているうちに、
「もっと私ができることがある気がする。」
そんな漠然とした思いを感じる様になりました。
広告の仕方や患者様への対応など、考えが合わない場合には、
30年以上この仕事を続けている夫の意見を優先します。
その度に、ザワザワとした思いが募るのです。
また、家族経営なのでお金の面でも不満を感じていました。
どちらがいいのかは別として、
夫は、無駄なお金は一切使いたくない。
私は、欲しい物や楽しい事にお金を使って
その分、働こう!という考えです。
例えば、売り上げが良かった月には
いつもとは違う店で贅沢する。
そんな家庭像を夢見ています。
また、娘2人なので
服でもカバンでも
良質な物を見極められる様になっていて欲しい。
外食なら
どんな席に招待されても落ち着いて楽しめる女性であって欲しい。
いつも贅沢をするわけでなく、
高級と言われるお店の料理、食器類、雰囲気、サービス、
がどういうことなのか知っていて欲しい。
ユニクロの服とブランドの服の違いを知った上で、
その時々にぴったりな物を選べる目を持って欲しい。
私は両親から
それを教えてもらったことで
大人になって助かったと思う場面がたくさんあります。
その部分が、夫とは真逆の考え方なのです。
それでも、何とか貯めたお金で
娘2人と素敵な店でランチをしたり、
ゆっくり服選びをして、「大事に使ってね」
と小遣いでは買えない物を買ったり。
本当に時々ですが、彼女たちとの楽しい時間を過ごしていました。
と同時に、
「自由に使えるお金がもっとあれば、
連れていきたい店がある。旅もいっぱい経験させてあげたい。」
その思いが常に心の中にあったのです。
自分の強みを生かしたい
長い間、幸せだとは思いながらもそんな心の引っ掛かりを持っていました。
もっと理想的な日々になったらいいのに、そんな思いから
「九星気学」を習うことにしました。
「占い」と思っていたのですが、
習ってみて考えが変わりました。
それは、祖父から教えられた
日本人が大切にするべきことであったり、
神社で見かける言葉の意味を学んだり。
そして、
9つの星がいろいろなことに影響することも分かったのですが、
その一つとして
私自身は、人に影響を与える役目であり、
独立した姿がうまく行くことを知ったのです。
夫の考えを尊重したり、
一歩後ろでサポートするのが
自分に合っていないことが分かったのです。
今までの心のモヤモヤの原因がわかり
「それでいいんだ」そう思えるだけで嬉しい気持ちに変われたのです。
かといって、
接骨院では、今後も夫を尊重していくスタイルは変えられません。
「何か、自分だけでできる仕事がないかなあ」
そんな風に思う様になりました。
そう思う一方、
九星気学を学び、
その開運法を真面目にやっていたら
次々と状況が変わってきたのです。
「運が上がる場所に行く」など、
開運法を続けていたら
家族に良いことがあったり、
臨時収入が入ったり
嬉しいことが本当に起きるのです。
本当に嬉しいので
人の鑑定や人に教えることを始めてみたら
ありがたいことにとても喜んでもらえるのです。
体を治す仕事も好きだけど、
人が笑顔になるのを見るのも楽しい。
そんな風に感じて
コツコツと続けていたら、
いつの間にか、仕事と言える収入になっていたのです。
コロナ一色だった2020年、
講座も鑑定もオンラインでできたため、
お客さんや生徒さんはどんどん増えました。
今までの人生で一番多い収入を得ることができたのです。
更に、
本校での講師として登壇するようにもなりました。
本校からのご縁で
加賀山代温泉観光協会の発行した「開運マップ」
の執筆というライターデビューもできました。
接骨院の先生の私にはあり得ないことです。
多くのお客様、生徒様から
「永橋先生の話を聞くだけで元気になります。」
そういってもらえるようになりました。
日々、本当にありがたいと思うことばかりなのです。
自分の強みを知ったことで、人にも喜んでもらえる自分になれたのです。
もう一つ、嬉しく思うのは20歳代の2人の娘が
「ママってすごいよね。いつも元気でいろんなことに頑張ってて。」
そう言ってくれることです。
自分の収入が増えて
念願の自由にできるお金ができたことで
3人で旅行に行く夢も果たせました。
次女の卒業祝いに
iPadをプレゼント
卒業式の袴姿を本人が望むように
買ってあげられる自分になったのです。
その人それぞれの心地よさを伝えたい
全てのことに恵まれた人たち。
何か助けの必要な人たち。
様々な世界の人たちを見てきた私だからこそ、実感できることが多くあります。
生きている環境、タイミングを上手くつかめる事、そして人として心と体が平和であること。
それがそろっている人は、笑顔が多い。
笑顔の多い人には、不思議と嬉しいことが起こってくる。
一番大切なのは、自分そのものが嬉しいこと。
無理のない体や心の使い方、自然を大切にした行動が心地よさをつくります。
それが身に付いているから元気も豊かさも手に入れられるのです。
人それぞれ今の状態は違うけれども
なりたい自分になるために
欲しい人生を手にいれるために
実際にどんな風に毎日を過ごしていったら良いのか、
それを多くの人に伝えていけることが今の私の願いなのです。
若くて綺麗な体を作る習慣。
暦の力を取り入れて心地よさを増やしていくこと。
様々な形で伝えていきたいと思っています。